読書感想「「よい子」の悲劇」富田富士也

河出書房新社から2004年に発売。

この本は、自分の子は効率良く育ち、自分の言うとおりに都合良く育って欲しいと、子に過剰な期待を持っている親が読むべき本だと思った。

過去に犯罪を犯した子どもが元々は普通の「よい子」だったという・・・。

その背景には育てる両親がエリートで、その親の期待に子どもが押しつぶされ無気力になるケースがあるのだという。

弱音を吐きたいが親はそんな子どもの悩みや弱音を吐かせない雰囲気に、親に言えずにその吐け口を探し、ついには犯罪に至ってしまう・・・。

エリート家族や、戦後の高度経済成長期を乗り切った世代の子どもは、過去の時代と現代を一緒にしている親にやるせなさを感じ疎外感を感じたり無気力になっていく。

会話をしようものなら高学歴の親からは「うまく順序たてて喋れ」と言われてやがて親と会話しなくなる。となると、結果、引きこもりになって親はともかく社会と関わることも億劫になる。

よく犯罪のきっかけは「残虐なゲーム」のせいにしがちな一部の意見には著者は否定的。例えそのようなゲームを子どもから取り上げたとしても、代わりの吐け口をさがすのだという。要するに自分の鬱屈した気持ちを家庭で気軽に話せない環境が原因でもある・・・。たまったストレスや弱音を吐ける家庭であるべきだとのこと。

最近の「友達親子」に対しても親の責任放棄だという。子育ては子どもが死ぬまで続くが、個人主義が行き過ぎると家庭ではなくなる・・・。そうなると、「子どもが何をしようと自分(親)は自分で何が起きても自分とは関係ない。」ということになってしまうのだろうか。

自分も子どもの頃、親に「頭で考えてから話せ」(←人の雑談の会話を聞くと案外話す順序なんて適当)とか、とある家事のやり方を教えてくれないのに「○○ができて普通のこと」(←親が教えてくれないのに)だとか言われた覚えもあるのだが。自分の家庭がエリート一家ではないが、躾に厳しいので幼い頃は同級生と仲良くなりたくても話し方が分からず挨拶以上の会話スキルが乏しかった。それに頭も良くないので弱音や悩みを話す代わりに絵を描いたり音楽を聴いたりして気持ちのバランスを取っていたので、うまいこと犯罪者にならずに済んでいるということか・・・。

子どもが愚痴や弱音を言える家庭環境を作るには、親もたまには子どもの前で軽く愚痴を言ったり疲れたと、言ってみて、子どもが近寄りやすい雰囲気を出すのもよいらしい。そのことによって子どもは親に対して気を許し、気持ちのガス抜きができる。

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