読書感想「歴史という教養」片山杜秀

河出新書、2019年1月に出版された本。

歴史好きこそ今一度歴史に対しての認識や考え方を振り返るきっかけと気付きになる内容の本。

印象に残った部分

歴史を知るには遠近両用な多角的な視点で歴史を謙虚に学び、過去と未来の歴史を考察する「温故知新主義」になり、歴史に対して中庸な考えや視点を持たなくてはならないとのこと。

自分が信じたい歴史だけを信じようとしていないか?今ある歴史しか見ないようにしていないか?

細かに歴史書を読めば読むほどその歴史が正解だと断言できなくなり臆病になるのである。

重い歴史を背負い続けることをしない人を「野蛮人」と称している。戦後の近代以降に生きる我々はその重い歴史を背負い学び、今に生かさなくてはならないとのことである。

歴史は1回きりであり、取り返しがつかず、「歴史は繰り返す」と言ってもすべてが全く同じではないとのこと。

歴史上の偉人だけに焦点をあてがちだが、その偉人が成し遂げた物事の背景や周りの人物などがその偉人に歴史的行動を起こさせたきっかけになっていることも学ばなくてはならない。

「むかしむかし」・・・という文言から始まる昔話やおとぎ話が好きなロマン主義は、手の届かない夢や過去を幻として投影しているので「温故」ではなく「作古」に惹かれているわけなので歴史を学ばないのである。

「神話」⇒「啓蒙主義」⇒「ファシズム」という思考に陥ることが危険であり、ファシズムは現代の合理性のない神話を産みだしてしまうので危険である。

都合よくゆがめられた歴史を持ち出し、さらにはインチキとオカルトを混ぜた話をする人に、歴史を知らない人がはまってしまい悲劇が繰り返される点は恐ろしい。

日本人は価値で動かず勢いが良いものを選ぶということは納得する。個人の価値観で選ぶ少数派になるよりも世の中で「今勢いがある人や売れている物はなにか?」を「勢いがいい」とされているものをとりあえず選ぶということは簡単で楽であるが、「長い物には巻かれろ」思考なのはいかがなものかと悲しくもなる。

個人的な余談・・・

メディアでも民衆の受けを狙って歴史を持ち出して語っている人たちを見かける。本書で取り上げられているロマン主義が好きそうな話をしているなぁと感じたりする。例えばとある本が有名な新聞社や某巨大通販で一位になっていたり、有名人がおすすめしているからといって「勢いがあって売れているから正しい」と妄信しないようにすることからはじめないとダメなのかもしれない。自力で謙虚に色々な歴史書を温故知新主義な視点で勉強しなくてはならない。自分の国で正しいとされている歴史が外国では間違っている歴史なのかもわからない・・・・。

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