読書感想「感性は感動しない」椹木野衣

世界思想社から、2018年に出版。

美術批評家の著者によるエッセイ集。

著者名の読みは「さわらぎ のい」さんです。初見だと読めないので苗字や漢字に詳しくない自分は少し困ってしまいました・・・。

冒頭の岡本太郎の言葉の「感性をみがくという言葉はおかしい」という言葉を取り上げ、芸術批評と芸術教育に思う部分を数々のエッセイで書かれている。

ざっと読んで印象に残った部分は・・・・
〇芸術作品を見てどう思うかはその人にしかわからないのであるということ。
「この作者は〇〇な苦労をしてこれを作り上げてきた」という苦労話や知識がむしろ見る側の邪魔をしている。「〇〇という流派」だとか「描き手がどのような技術を持っているか?」という経歴や背景を気にしてしまいながら作品を見てしまいがち。

〇日本は日頃から芸術に慣れ親しんでいるヨーロッパと違って美術館に入るということは仕切りの高い為になかなか芸術に関われない為、海外と違い美術に慣れ親しんだ下地や環境が違う。

〇美術批評を文章で書く場合、海外は単一の言語で書きやすいし読みやすいが、日本語の場合、漢字とひらがな、カタカナと3種類ある為、外国語の文を日本語に翻訳する場合はかなり難しい作業になる。日本語の文を英語に訳す場合も漢字と日本の造語である「カタカナ英語」が混在しているせいで翻訳が難しくなってしまうということ・・・・。一例としては野球の「メジャーリーグ」を以前は「大リーグ」と呼んでいたということについての「大リーグ」の「大」とは何なのか?というツッコミ(??)が面白かった。
「て、に、を、は」という文章の基本を使っていないことが翻訳を困難にしている。

〇音楽の批評と芸術の批評は似ていて、インターネットのない時代は気になるCDが発売するとしても前情報はそのアーチストが「〇〇賞を受賞した」という実績や「何の曲が評価が高かったのか」という情報しか頼れないが、新曲を聴く人によっては以前の経歴があったとしても意味はなく「だめだったか 良かったか」のどちらかの感想しかないというところはとても分かる。
それらの履歴や実績の情報などがあてにならないということでも、美術批評でも「〇〇大学出身で〇〇賞を取っているから技術はしっかりしている筈だ」という履歴を頼った上での作品の批評はやりやすいのかわからないが芸術界の人は履歴がある人の作品の審査員はするが、新人賞の審査員の場合は作品を応募する人物に履歴がないからやりたがらない様子・・・。

芸術に関しても結局「履歴」はアテにならないもののようだ。結局は作品を見て「好きか 嫌いか」という感性は人それぞれ違うから・・・。

芸術批評の話と過去の体験談が入り混じったエッセイなので小難しい内容ではない。

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